「自分ができる限界まで追い詰めて、努力することが大切」/ 熊本工業 前田智徳選手

1989年の平成最初となった夏の甲子園に、出場を果たした熊本工業高校。 当時、チームの中軸を務め、3度の甲子園で4安打を放つなどの活躍を見せていたのは、前田智徳選手である。

「いっぱい失敗したほうが成長すると思います」/ 熊本工業 荒木雅博選手

2年連続の出場となった、1995年のセンバツで16強進出を果たした、熊本工業高校。  当時、チームの遊撃手を務めていたのは、俊足と鉄壁の守備で注目を集め、全日本選抜候補にも選ばれた、荒木雅博選手である。