「冷静に自分たちの野球をすれば勝てる」/ 健大高崎 柘植世那選手

2015年のセンバツで、2季連続となる8強入を果たした、群馬県の健大高崎高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算32本塁打を放った強打の捕手としても注目されていた、柘植世那選手である。

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「優しさも必要だが、強さも同じくらいなければならない」/ 箕島 尾藤公監督

公立高校が大多数を占めていた時代とはいえ、春夏連覇の偉業を成し遂げたのは、尾藤公監督率いる箕島高校が、現時点では、最初にして最後である。

選手たちの緊張をほぐすために、試合中に見せる「尾藤スマイル」は、その後、名将として名を馳せる若き日の監督たちにも大きな影響を与え、伝説としても語り継がれている。

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「甲子園で終われたことは財産」/ 九州国際大付 清水優心選手

2014年に勇退を表明していた、名将、若生正広監督最後の夏を甲子園まで導いた、九州国際大付属高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、高校通算35本塁打のスラッガーとして全国から注目を集めていた、清水優心選手である。

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「負けても残るものはある」/ 三重 中村好治監督

三重高校の監督就任から約5ヶ月後、センバツ初戦敗退のチームを修正し、夏の甲子園決勝の舞台へとチームを導いた、中村好治前監督

短期間で結果を残せたのは、100人を超える部員が在籍していても、最後まで「全員野球」という自身のスタイルを貫いたからであろう。

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「『投げてみたい』という思いが『本気で投げよう』という思いに変わるかどうかが大事」/ 桐光学園 松井裕樹選手

2012年の夏の甲子園で、学校史上最高成績となる8強に進出を果たした、神奈川県の桐光学園

当時、2年生ながらエースを務めていたのは、4試合で68奪三振の好投を見せ、チームの快進撃の立役者となった松井裕樹選手である。

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「選手も失敗しようと思って失敗しているわけではない」/ 関東一 米澤貴光監督

試合中はもちろん、練習中にも一切怒鳴らない指導で、低迷しつつあった関東一高を復活させた、米澤貴光監督

高校野球の強豪校では、選手のミスに対して怒鳴ったり、厳しい言葉を浴びせる指導で、監督の考えを選手が実行するスタンスが長い間主流であり、現在も多くの高校がこの指導法を続けている。

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「考えすぎては逆にダメ」/ 大阪桐蔭 水本弦選手

2012年の甲子園で、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、攻守にわたる活躍でプレーでもチームを引っ張っていた、水本弦選手である。

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「ないものを求めても仕方ない」/ 盛岡大附 関口清治監督

甲子園初出場から9連敗を喫するも、打ち勝つ野球を徹底的に追求し、盛岡大附を全国レベルの強豪校へと育て上げた、関口清治監督

安打が安打を呼び込み、畳みかけるように得点を重ねる通称、「わんこそば打線」は、現在では盛岡大附の代名詞となっている。

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「環境を楽しむことで、夢に近づける」/ 帝京 伊藤拓郎選手

2009年の夏の甲子園、翌年のセンバツと、2季連続で8強進出を果たした、東の横綱帝京高校。

当時、チームの主力投手として活躍していたのは、甲子園の1年生最速記録更新となる、148キロを記録した、伊藤拓郎選手である。

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