「良い人生にするのも自分次第で、悪い人生するのも自分次第」/ 日大三 小倉全由監督

都の名門日大三高を率いて、夏の甲子園で2度の全国制覇へ導いた名将、小倉全由監督には、嘘や駆け引きなどの、大人の都合という理屈が存在しない。

試合に負ければ一緒に悔し涙を流し、勝った時には喜びの涙を分かち合い、練習でも寮でも選手たちと同じ目線で過ごしながら、苦楽を共にしてチーム作りをする。

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「相手を抑えて試合を作るのは、ピッチャーの役目」/ 金光大阪 植松優友選手

2007年の夏の大阪大会で、その年のセンバツ8強で、優勝候補の筆頭でもあった大阪桐蔭を敗り、甲子園出場を果たした、金光大阪

当時チームのエースを務めていたのは、140キロの速球とキレのある変化球を武器に、激戦の大阪を制する立役者となった、植松優友選手である。

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「どんな植物でも、ずっと日なただと枯れちゃう」/ 駒大苫小牧 香田誉士史監督

2004年の夏の甲子園で、北海道の高校野球の歴史を、全国制覇という最高の結果で変えた駒大苫小牧

当時チームを指揮していた香田誉士史監督は、名だたる名将や名門ですら成し得ることのできなかった偉業を、就任から僅か10年で成し遂げふという離れ業をやってのけた。

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「自分の意志を持つことが大事」/ 開星 梶谷隆幸選手

2006年の夏の甲子園に、4年ぶりに出場を果たした島根県の開星高校。

当時のチームで、1番遊撃手として出場していたのは、高校通算93盗塁を記録する俊足好打の切り込み隊長として注目されていた、梶谷隆幸選手である。

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「いちいち監督に頼るような野球をやるな」/ 日本文理 大井道夫監督

センバツ大会では、2006年まで一度も勝利を挙げたことがなかったことから、「全国最弱」とまで称されていた新潟県勢。

そんな県の歴史を塗り替えたのが、「強打」を代名詞にチーム作りを行っていた、日本文理大井道夫前監督である。

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「自分が好きな野球を思いっきりできているのは、親からもらったこの体があるから」/ 高知 二神一人選手

2005年の夏の甲子園に、優勝チームの不祥事による出場辞退で、繰り上げというかたちで出場した、高知高校

当時チームのエースを務めていたのは、持ち球のストレートとカーブの2種類のみで、県大会で好投していた二神一人選手である。

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「何事も自分の居場所を見つけることが大事」/ 常総学院 木内幸男監督

長い高校野球の歴史で「教育の一環」というタテマエに縛られることなく指導をしてきたのは、おそらく、木内幸男監督が初めてだろう。

いずれも無名であった取手二高常総学院で指揮を執り、両校で全国制覇へ導き、春夏通算40の勝ち星を挙げた名将は、やはり独特の指導スタイルであった。

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「自分たちでできることを全員がしっかりやれば、結果はついてくる」/ 習志野 竹縄俊希選手

2019年のセンバツ大会で、チーム最高成績となる、準優勝を成し遂げた千葉県の習志野高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、攻守にわたる活躍を見せ、プレーでもチームを引っ張っていた、竹縄俊希選手である。

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