「目標に向かって頑張ること自体がすごい」/ 宇部商 藤田修平選手

1998年の夏の甲子園に出場し、2回戦で延長15回の末、惜しくも破れた山口県の宇部商業高校。

当時、2年生ながらエースとしてチームを支えていたのは、敗れた2回戦でも211球の熱投を見せた、藤田修平選手である。

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「勝負に勝ち負けはあるが、相手の名前に気後れすることは許さない」/ 日大山形 荒木準也監督

2006年の88回大会まで、出場地区で唯一の夏の甲子園8強進出がなかったことから、全国最弱というレッテルを貼られていた、山形県勢。

そんな山形県の高校野球史に終止符を打ち、その後も記録更新を続けているのが、日大山形で指揮を執る、荒木準也監督である。

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「負けから学ぶものは、勝ちよりも多いと思います」/ 熊本工業 星子崇選手

1996年の夏の甲子園で、3度目となる準優勝を果たした熊本工業高校。

当時、チームの下位打線ながら走攻守三拍子揃ったプレースタイルで、活躍を見せていたのが、星子崇選手である。

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「チームが勝つために何をすべきかを考えさせるのが僕の仕事」/ 横浜隼人 水谷哲也監督

現代の高校野球界にある、「私学であれば勝たなければならない」という世間の声に惑わされることなく、「人間教育」を重視して指導を続ける、横浜隼人高校の水谷哲也監督

全国屈指の激戦区神奈川に位置しながらも、中学時代に実績を残した有名選手を獲得し育成する「タレント野球」を行わず、人間教育から勝利を目指すスタイルは、テレビに取り上げられるほど評価が高い。

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「完全試合はチームの記録」/ 作新学院 江川卓選手

1973年の甲子園に、春夏連続で出場を果たし、その後行われた国体では準優勝を成し遂げた、栃木県の作新学院

当時、チームのエースを務めいていたのは、数々の驚異的な記録を残し、歴代最高投手の呼び声高い、江川卓選手である。

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「自分が調子が悪い、苦しい、ダメな時にどれだけ力を発揮できるか」/ 北海 平川敦監督

教育と勝利という両方の目的を指導の根本とし、伝統のある名門の新しい歴史を作り続けている、北海高校平川敦監督

1998年に母校の指揮を託され、翌年には甲子園出場を果たすも、以降は黄金時代を築きつつあった駒大苫小牧の壁に阻まれ、甲子園だけでなく、道内を勝ち抜くことすら厳しい状態に直面した。

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「高校野球では一生分の経験をしたと思っています」/ 鹿児島実 定岡正二選手

1974年の夏の甲子園の準々決勝で、延長15回にも及ぶ死闘を制し、県勢初の4強進出を果たした、鹿児島実業高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園で2試合連続完封を成し遂げるなどの活躍を見せていた、定岡正二選手である。

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「自分の経験を語れる人間になってほしい」/ 神戸国際大付 青木尚龍監督

野球の技術だけでなく、教育の一環であることから、人間性や生活態度、マナーなども重視される高校野球界において、その両方を急速に成長させ、近年力をつけているのが、神戸国際大付属高校である。

そんな神戸国際大付属の成長の裏には、チームカラーを把握し、選手たちの考え方に理解を示す、OBの青木尚龍監督の指導があった。

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「甲子園は自分だけのことじゃない」/ 帝京 吉岡雄ニ選手

1989年の、平成最初の夏の甲子園となった大会で、全国制覇を成し遂げた東東京代表の帝京高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園での2本を含む高校通算56本塁打を放つなど、打者としても活躍していた、吉岡雄二選手である。

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