「僕らは364日苦しくて、たった1日の喜びのためにやっている」/ 明秀日立 金沢成奉監督

勝利至上主義」や、「教育の一環か否か」などとならべられ、高校野球界における課題の重要な一つとして賛否両論ある、地元以外の選手でチーム作りを行う「野球留学制度」。

明秀日立高校を指揮する、金沢成奉監督は、光星学院の監督時代からこの問題と上手く付き合いながら、指導を続けている。

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金沢監督がいずれも指揮したチームは、甲子園とは無縁に等しく、県大会の上位進出の経験すらもなく、甲子園を目指す選手たちは、他校や県外の進学が常識となっていた。

そこで、金沢監督は、地元選手を入学させるためには、実績や知名度が必要と考え、その目的のために敢えて県外選手を獲得するという、スタイルを選んだのであった。

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しかし、県や地区の代表として甲子園に出場する高校野球界では、地元出身者がゼロという状態は、正しくないという、猛烈なバッシングがあり、結果を出しても、周囲からの理解は得られなかった。

本気で甲子園を志しているため、日々の練習は辛く、慣れない寮生活や集団生活にも、苦戦を強いられるなど、選手たちは、普通に過ごしていても苦労がある。

それに加え、周囲からの批判は、第二の故郷としてその地を選び、純粋に野球に取り組んでいる、10代の選手たちには、重くのしかかり、辛さを加速させるものとなった。

それでも、金沢監督は苦歴が必ず支えになると励ましながら、選手たちと365日24時間を共にし、世間からの理解が得られるまでひたむきに野球に取り組むませていった。

その結果、光星学院明秀日立の両校で甲子園出場を成し遂げると、県内の中学生の進学も増え、起爆剤としての役目を果たし、現在では多くの支持も集めている。

苦しさを乗り越えた先に得られる、全国制覇とい最高の喜びを手にする日まで、金沢監督の挑戦は続く。

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