「自分は一人じゃない、守られている感じがした」/ 東海大相模 一二三慎太選手

2010年の夏の甲子園に、33年ぶりの出場を果たし準優勝を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。

当時チームのエースと主将を務めていたのは、一二三慎太選手である。

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一二三選手は、中学時代に全国優勝へ導く投手であったことから、東海大相模への進学後直ぐから注目を集める存在であった。

そんなプレッシャーにも屈せず、2年秋の新チームでは、背番号を1と主将という大役を与えられ、チームを関東大会優勝神宮大会準優勝へ導いた。

翌年のセンバツ大会の優勝候補にも挙げられ、誰もが一二三選手の活躍を予感していた矢先、大会前に肩の怪我を発症するアクシデントが襲った。

しかし、チームの中心選手でもあったことから、周囲には言い出せず、痛みを感じない投球フォームを探して治療を行わない選択をした。

迎えたセンバツでは、思うような投球ができず初戦敗退を喫し、その後の練習試合でも、納得のいく投球ができないまま、遂には元の投球フォームを取り戻せない事態にまで発展した。

それでも、春から僅か3ヶ月ほどの期間でオーバースローをサイドスローに変え、夏の大会に臨むと、悪化しつつあった怪我を投球術でカバーし、ピンチの際には味方の援護にも助けられるながら甲子園の決勝に進出を果たした。

限界を超えた一二三選手は、決勝では大敗を喫するも、その活躍は多くのファンの心を掴んだ。

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