「松井選手に打たれるために、3年間野球をやっていたんじゃない」/ 明徳義塾 河野和洋選手

2年連続の出場となった1992年の夏の甲子園で、16強まで勝ち進んだ、高知県の明徳義塾高校。 当時、背番号8ながら、チームの中心投手を務めていたのは、初戦の星稜戦で松井選手に対して、「5打席連続敬遠」をしたことで注目を浴 … 続きを読む 「松井選手に打たれるために、3年間野球をやっていたんじゃない」/ 明徳義塾 河野和洋選手