夏の甲子園での勝ち星は100回の歴史で28個。
90回のセンバツでは、僅かに3勝と全国的に見ても少なくい新潟県勢。
しかし、そんな数字を覆すかのように、近年新潟県勢は力をつけている。
2009年に日本文理が、準優勝すると、翌年には、漫画「ドカベン」 のモデル校新潟明訓が8強に進出するなど、「最弱」とは程遠い、結果を残している。
そんな新潟県で、1991年に初出場を果たし、以降県を引っ張る存在となっているのが新潟明訓である。
新潟明訓を指揮し、強豪校に育て上げたのが、佐藤和也監督である。
甲子園に導くこと7回で、2010年には、8強進出を果たすなど、新潟の野球を支えてきた。
佐藤監督の指導方針は、スパルタの根性論ではなく、理論に基づいたものであった。
失敗には必ず技術的要因があり、「気持ち」や「根性」のせいにして片付けないように、選手たちを指導していた。
物事の原因を「気持ち」といった曖昧なものにするのではなく、きちんと向き合い解決することで、選手やチームが効率よく成長できたのだろう。