「毎日が本番」/ 慶応義塾 上田誠監督

神奈川県の高校野球界で「四強」の一角として毎年優勝候補として注目を集める慶應義塾

かつては、甲子園での全国制覇の経験もある名門だが、1962年を最後に半世紀近く甲子園から遠ざかっていた。

そんなチームを四半世紀指揮し甲子園に導いた名将が上田誠監督である。

続きを読む

「基本に立ち返らないと新しい山には登れない」/作新学院 小針崇宏監督

関東を代表する名門校で、史上初めて甲子園春夏連覇を成し遂げた栃木県の作新学院高校。

平成に入りやや低迷していたが、2009年に31年ぶりに夏の甲子園へ出場を果たすと、2016年には、54年ぶりに夏の甲子園で全国制覇を成し遂げた。

そんな名門を復活させたのは、若き名将小針崇宏監督である。

続きを読む

「『カベ 』というのは あるわけじゃなくて 自分が作るもの」 / 佐賀北 百崎敏克監督

2007年の夏の甲子園で全国制覇を成し遂げた佐賀県立佐賀北高校。

07年夏、佐賀北は開幕試合で甲子園初勝利を挙げると、二回戦では延長15回引き分け再試合で勝利、準々決勝では優勝候補の一角帝京高校相手に延長13回サヨナラ勝ちで決勝戦へ駒を進めた。

帝京高校の記事はこちら。

決勝でも勢いと大観衆を味方につけ、0ー4の劣勢の展開から、8回裏に押し出しで1点を返すと、逆転満塁本塁打で試合を決め、全国制覇を果たした。

そんなチームを指揮していたのが、百崎敏克監督である。

続きを読む

「監督として一番いけないのは、変な先入観を持つことなんです」/ 箕島 尾藤公監督

70年代に黄金時代を築いた、和歌山県の伝統校、箕島高校。

公立高校で唯一の、春夏連覇を成し遂げた実績を残している名門である。 

春夏連覇校の記事はこちら。

甲子園では、センバツで三度、夏の選手権は一度の計四度の全国制覇の経験があり、全国的な知名度を誇っている。

そんな箕島を全国レベルのチームへと作り上げたのが尾藤公監督である。

続きを読む

「甲子園には神様しかいないと思っています。」/ 龍谷大平安 原田英彦監督

2018年の夏の甲子園の100回大会で甲子園通算100勝を達成した、京都府の名門、龍谷大平安

高校野球の歴史で100勝越えは、史上2校目の快挙である。

甲子園では平成終了時点で、春夏合わせて4度の全国制覇をし、出場回数はセンバツではトップである。

そんな名門を指揮するのは、平安愛に溢れた原田英彦監督である。

続きを読む

「時間との闘いをしなさい。」/ 済美 上甲正典監督

高校野球には、ミラクルとして語り継がれるチームが多数存在する。

愛媛県の済美高校もまた、「ミラクル済美」と称された。

済美は2002年創部すると2004年のセンバツには、甲子園初出場を決めた。

センバツ大会の記事はこちら。

そして、甲子園では接戦で強豪校を次々倒し、初出場初優勝を成し遂げたのであった。

そんな済美の名を全国に広めたのが、名将、上甲正典監督である。

続きを読む

「本気と一生懸命は違う」/ 県岐阜商 藤田明宏監督

春夏合わせて、甲子園で4度の全国制覇と6度の準優勝を誇る岐阜県の名門、県立岐阜商業

勝ち星は高校野球100年間で87勝と、公立ではトップクラスである。

そんな、名門を率いていたのが藤田明宏監督である。

続きを読む

「一人一役全員主役」/ 広陵 中井哲之監督

甲子園で70を超える勝ち星を挙げ、3度の全国制覇を誇り、7度の準優勝を記録する、広島県の広陵高校。

大正、昭和、平成のいずれの時代も甲子園の決勝進出の実績があるだけでなく、数々の名選手やプロ野球選手も輩出している。

県や中国地方だけでなく、高校野球界を代表する名門である。

そんなチームを作り上げているのは、広陵OBであり、選手時代にも甲子園出場経験もある中井哲之監督である。

続きを読む

「花よりも、花を咲かせる土になれ」/ 星稜 山下智茂監督

高校野球界で長年、北陸の野球を引っ張っている存在である石川県の星稜高校。

昭和47年夏の初出場から、箕島高校との延長18回の死闘や、明徳義塾戦での松井選手に対する5打席連続敬遠、平成7年の夏の甲子園準優勝など、数々の記録や記憶に残るチームである。

箕島の記事はこちら。

明徳義塾の記事はこちら。

そんな名門を38年間指揮を執っていたのが、山下智茂監督である。

続きを読む