「面白くない基礎練習だからこそ見えてくるものがある」/ 駒大苫小牧 佐々木孝介監督

両チーム合わせ39安打、23得点のとどまるところを知らない打ち合いの決勝戦を制して北海道勢として初の甲子園制覇を成し遂げた駒大苫小牧

2005年にも優勝し夏の甲子園連覇を達成し、その翌年も夏の甲子園の決勝に進み、敗れはしたものの早稲田実業と決勝戦引き分け再試合で球史に残る名勝負を繰り広げた実績がある。

しかし、そんな名門も夏の甲子園は07年を最後に遠ざかっている。

そこで名門の復活を託されたのが、選手時代に主将として深紅の大優勝旗を初めて北の大地に持ち帰った佐々木孝介監督である。

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「失敗を恐れるようになると、いい結果は生まれなくなります」/ 健大高崎 青柳博文監督

徹底マークされていても、土壇場でも、迷うことなく怯むことなく次の塁を狙い、相手を翻弄する。

そんな「機動破壊」を代名詞にその名を全国に広めた群馬県の健大高崎高校だ。

甲子園では2011年夏に初出場を果たし、2012年のセンバツでは4強を記録し、その後も好成績を残し、初戦敗退は1度もない

2001年創部と歴史は浅いが、近年甲子園を魅了する強豪校である。

そんなチームを指揮するのは、青柳博文監督である。

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「やると決めたラインまでしっかりやりきろう」/ 仙台育英 須江航監督

東北勢悲願の甲子園制覇に最も近い存在であると称されている、宮城県の仙台育英高校。

平成の甲子園では3度の準優勝を経験し、勝ち星は41で全国4位の記録を残し、神宮大会での優勝経験もある全国を代表する強豪である。

そんな仙台育英を指揮するのは、須江航監督である。

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「人間を人に変えるのが仕事」/ 大垣日大 阪口慶三監督

愛知の伝統校東邦で監督として、春夏甲子園に24回(春13回、夏11回)出場経験を持ち、1977年の夏の選手権、88年センバツは準優勝、89年センバツには優勝へチームを導いたのが阪口慶三監督である。

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「人生は敗者復活戦」/ 池田 蔦文也監督

途切れなく響く打球の音から「やまびこ打線」と称された徳島県の池田高校。

名だたる強豪校を攻撃型野球で倒し、一時代を築いた公立の名門である。

そんな池田高校を全国レベルに育て上げたのが蔦文也監督である。

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「監督の言うことを素直に聞くような子は、監督を超えるような存在にならん」/ 箕島 尾藤公監督

70年代に黄金時代を築いた、和歌山の伝統校、箕島高校は公立高校で唯一の春夏連覇を成し遂げた名門である。 

春夏連覇校の記事はこちら。

センバツは三度、選手権は一度の全国制覇を誇る。

そんな全国レベルのチームへと育て上げたのが尾藤公監督である。

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「選手達がワクワクすることが必要」/花咲徳栄 岩井隆監督

21世紀に入り、甲子園常連校となり2017年の夏の甲子園には県勢の悲願でもある全国制覇を達成した花咲徳栄

そんなチームを指揮するのは、岩井隆監督である。

岩井隆監督

「思いこみの力は大きい」/ 済美 上甲正典監督

やればできるは魔法の合言葉」の校歌と創部から約2年で日本一を達成したことで、全国から注目を集める存在となったのが愛媛県の済美高校である。

済美は2002年に野球部を創部すると04年のセンバツに初出場を果たし、接戦ながらも強豪校を次々倒し、勢いそのままに全国制覇を成し遂げたのであった。

続く夏の甲子園も決勝まで勝ち進み準優勝で甲子園初出場から9連勝という驚異的な記録も残した。

そんな済美を強豪へと育て上げたのが、独特の采配や指導から「上甲マジック」とファンから親しまれていた、上甲正典監督である。

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「どこに向かって一生懸命やるかが大事」/ 東海大相模 門馬敬治監督

高校野球の「激戦区」として、毎年全国レベルの予選が繰り広げられる神奈川県。

県勢の甲子園での勝ち星は、夏は100回で126、春は90回で76、甲子園優勝経験校は5校と全国レベルのチームが群雄割拠する。

そんな神奈川で、春夏二度ずつ甲子園制覇をし、全国にその名を広めているのが、名門、東海大相模である。

そんな名門を指揮する門馬敬治監督は、1999年に監督就任後、翌年のセンバツを制すると、2010年選手権準優勝、11年春と15年夏は優勝するなど脅威の成績を残している。

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