「鍛錬千日の行、勝負一瞬の行」/ 池田 蔦文也監督

「やまびこ打線」の愛称で親しまれていた、徳島県の池田高校

春夏合わせて、甲子園で40を超える勝ち星を挙げ、3度の優勝と2度の準優勝など、輝かしい成績を残す名門である。

昭和57年の夏の甲子園から翌年の夏の甲子園準決勝まで、無傷の15連勝を記録するなど、一時代を築いた。

そんなチームを作り上げたのが59歳で初めて甲子園を制した名将、蔦文也監督である。

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「攻めダルマ」と呼ばれていた蔦監督の野球は、超攻撃型野球であった。

そのため、練習の大半を打撃練習に費やしていた。

また、当時では他チームは導入していないような、金属バットの特性を活かすための筋力トレーニングなども行い、選手達を鍛え上げた。

甲子園では、努力が身を結び、普通なら外野フライの打球が本塁打になったり、芯を外されても飛距離が出るなど、並み居る強豪を次々打ち破った。

「攻めダルマ」の名の通り、打力中心の野球が代名詞でのため、蔦監督の印象は豪快さであるファンは多い。

しかし、練習は決して雑ではなく、綿密なものであった。名選手や、好成績を残している選手も関係なく、同じ練習量を課しで妥協は許さなかった。

そこには、練習の時間に限りはないが、勝負は1度だけであり、どれだけ力があっても、その一瞬にベストをつくせなければ負けてしまうという、蔦監督の考えがあったのだ。

池田高校の強さは、超高校級の打撃力やパワーの強さではなく、試合という勝負の場で、100%の力を発揮する「勝負強さ」だったのだろう。

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