平成の時代に甲子園で春夏3度の全国制覇、63の勝ち星を記録している、智弁和歌山高校。
そんな智弁和歌山を全国レベルの強豪校へと育て上げたのが、甲子園最多勝利監督としての記録を保持している高嶋仁監督である。
高嶋監督は、難しい理屈や理論を重視した効率的な練習ではなく、圧倒的な練習量で選手たちを育てていた。
技術練習以外にも、100メートル走を100本や、腹筋背筋を2000回などを課し、全国でもトップクラス練習量で鍛え上げていた。
また、一人当たりの練習量確保のために、部員は一学年10人前後と決め、グランド整備や準備の時間も「勿体ない」と考えていたため、監督が行うことは日常茶飯であった。
地方大会が開幕しても、練習のペースを落とすことはせず通常通りの練習で「追い込み」を行い、「辛さ」や「しんどさ」を常に経験させ、「苦しい環境」で「強い選手」を育てていった。
やがて、苦しい練習が「自信」となり、土壇場の「逆境」や大舞台での「プレッシャー」にも屈しない「メンタル」が身につくのであった。
甲子園では、「ミラクル」と称される、幾多の逆転劇や名勝負を演じてきたが、ただの「奇跡」ではなく、苦しい練習を乗り越えたことで得られた「成果」なのだろう。
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