2012年のセンバツに、東日本大震災による困難を乗り越え、21世紀枠で初の甲子園出場を果たした、宮城県の石巻工業。
当時、チームで主将を務めていたのは、開会式では選手宣誓の大役も務めた阿部翔人選手である。
2011年の春に発生した地震に、石巻工業は校舎やグランドが津波を受けるなど、大きな被害を受けていた。
阿部選手をはじめとする選手たちも被災し、野球や学校以前の日常生活やその日その日を生きることに専念せざるを得ない状態が続いていた。
野球をすることも諦めかけていたが、地域の人や監督は選手たちの「甲子園」の夢を応援し、全国からも多くのサポートが差し伸べられた。
「野球をする姿が地域の復興につながる」と全員で話し合い、チームは夢と希望の甲子園を目指して、練習を再開した。
そして、2年の秋にチームは県大会準優勝を果たし、翌年のセンバツに「21世紀枠」という形で、甲子園出場を決めると、阿部選手は選手宣誓も担った。
初戦で敗れるも一時は4点差を逆転するなど、最後まで諦めなかった阿部選手と石巻工業ナインは、地域への恩返しと勇気を与え復興に大きく貢献したのであった。