2012年の甲子園で、史上7校目となる春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校。
当時、チームの主将を務めていたのは、攻守にわたる活躍でプレーでもチームを引っ張っていた、水本弦選手である。
水本選手は、小学2年から野球を始めると、主将でエースとして全国大会出場を経験すると、中学時代には、選抜メンバーとしてアメリカ遠征を経験するなど、数々の実績を残していた。
大阪桐蔭進学後も、1年時からベンチ入りを果たすと、2年秋にはチームの中軸と主将を担うこととなっていった。
3年のセンバツでは、大阪桐蔭史上初の春の優勝へ導くと、その後の春の大会でも、隙を作ることなく、負け無しのチームを維持し続けていた。
しかし、6月の明徳義塾との練習試合で、この年初の黒星を喫し、水本選手も思うような結果が残せず、夏の大会直前に大きな不安を持つこととなった。
そこで、ミーティングを行い、 チームが勝つための練習やプレーを心がけることを再認識し合い、水谷選手自身も、不安や課題を必要以上に悩むことをやめ、目の前のことに集中するようになっていった。
迎えた、最後の夏は、地方大会で6割、甲子園でも4割を超える打率を残す活躍で、チームを春夏連覇へ導くなど、有終の美を飾ったのであった。