1987年の甲子園に、春夏連続で初出場を果たし、夏の選手権では、準優勝を成し遂げた、茨城県の常総学院。
当時、1年生で唯一のレギュラーとして試合に出場していたのは、準々決勝でランニングホームランを放つなどの活躍を見せていた、仁志敏久選手である。
仁志選手は、小学4年時から野球を始めると、プロ野球選手を目指し、父親との猛特訓を重ねていく中で、中学時代には軟式野球ながら、注目を集める選手にまで成長していった。
常総学院に進学後は、初めての硬式野球に苦戦することなく、すぐに慣れると、1年生ながら試合に出場する機会を与えられるようになった。
また、選手の考えを尊重する木内野球に、野球の奥深さを学ぶと、自分で考えた作戦を試合で成功させることに喜びを覚え、結果を残していった。
迎えた最初の夏は、センバツ出場メンバーにレギュラー争いで勝ち、スタメンのの座を掴むと、甲子園でも準々決勝で、ランニングホームランを打つ勝つ活躍で、チームの快進撃を支えていた。
更に続く準決勝では、相手のエラーを誘うサヨナラの一打を放ち、チームに初出場準優勝という快挙をもたらしたのであった。
優勝こそは果たせなかったものの、考える野球を武器に、2年と3年の夏の甲子園出場にも貢献したのであった。