1982年の夏の甲子園で、当時のチーム最高記録となる2勝を挙げ、16強まで勝ち進んだ、佐賀商業高校。
そんなチームのエースを務めていたのは、初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せていた、新谷博選手である。
新谷選手は、小学3年時から野球を始めると、中学時代にはエースで4番を務めていたが、監督との喧嘩が原因で退部し、バスケットボール部へ転向した。
しかし、高校進学時に、再び野球への想いが強くなり、佐賀商業に入学すると、野球部に入部することとなった。
佐賀商業では、監督との1対1の1時間にも及ぶノックや、1500回以上の腹筋背筋などの筋力トレーニングなど、過酷なメニューに苦しめられていた。
それでも、壮絶な日々の練習は時間が経つにつれ自信となり、試合のピンチでも動じないほどの、精神力という、技術以外の武器も身につけていった。
迎えた最後の夏は、県大会を制して、甲子園出場を果たすと、初戦では、僅か1死球のみの完璧な投球内容で、ノーヒットノーランを達成したのであった。
続く2戦目も勝利へ導くと、3回戦では、敗れながらも、延長14回のの死闘を最後まで投げ抜き、球史に記録と記憶を残したのであった。