「完全試合以上に惨敗の方が、人生にとって大きな意味がある」/ 前橋 松本稔選手

1978年の50回記念となったセンバツ大会に初出場をで、初戦突破を果たした、群馬県の前橋高校

当時チームのエースを務めていたのは、初戦で史上初の完全試合を成し遂げる活躍で勝利をもたらした、松本稔選手である。

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松本選手は、前橋高校へ進学すると能力の高さが評価され、2年の新チーム以降では、投手だけでなく、打者としても期待されていた。

秋の県大会を勝ち抜くと、関東大会でも4番エースとして準優勝へ導き、前橋高校にとって初となるセンバツ出場を決めたのであった。

しかし、冬場に力をつけるも、甲子園開幕が近づくにつれ、大会のプレッシャーや不安に襲われ、中々調子が上がらずにいた。

そんな中、試合の数日前にフォームを少し改良したことが幸いし、ストレートにバックスピンが綺麗にかかるなど、一気に球質が向上したことで、自信を取り戻し、初戦に臨むこととなった。

迎えた試合では、持ち味の打たせてとるピッチングを披露し、1時間35分78球で、高校野球史上初となる甲子園での完全試合を達成したのであった。

続く2戦目は、全国から注目を浴びたことで、力みが生じ大敗を喫し、続く夏も県大会で敗れるなど、悔しい経験もしたが、大記録だけでなく、負けから学んだことも、松本選手の誇りとなっている。

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