「下手くそでもやる気があればなんとかなるんです」/ 大阪偕星学園 山本晳監督

スポーツの全てにおいて、気持ちの強さが勝敗を決めるかは、定かではないが、メンタルの部分がプレーに大きな影響を与えていることは、間違いないだろう。

そんな気持ちの部分を重視した指導で、激戦区の大阪を勝ち抜き、無名の大阪偕星学園を甲子園へと導いたのは、山本皙監督である。

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山本監督は、選手時代に、韓国のプロ野球でプレーした実績を持ち、指導者としても強豪校でのコーチや監督を務めた経験があり、野球の知識や理論については、充分持ち合わせている。

しかし、大阪偕星学園では、技術的にも、人間的にも発展途上の選手が多かったことを考慮し、人として育てることからスタートさせた。

事実、毎年入部を希望してくるのは、中学時代に補欠であった選手や、軟式出身者など、激戦の大阪や近畿を勝ち抜ける力を持っているとは言えない状態であった。

更に、生活面に問題のあるヤンチャな選手や他校を退学し編入してくるような選手も在籍しており、そんな個性派軍団の指導には、野球以外のことでの叱責が絶えなかった。

それでも、問題を起こした選手とは同じ部屋に泊まって想いを伝えたり、時間を見つけては手料理を振る舞うなど、本気で選手たちとぶつかり合うことで、信頼関係を築いていった。

野球でも、基礎基本の徹底を求め、圧倒的な練習量を課す反面、終了時間が深夜1時になっても最後まで付き合い、翌朝には寮生の為に弁当を作るなど、自らも行動で示し選手を引っ張り続けた。

その結果、選手たちに「監督のために」というモチベーションが芽生え始めた就任4年目の夏には、彼岸の甲子園出場を果たしたのであった。

監督を筆頭に、「やる気」を最後まで持ち続け、技術や人間性の足りない部分を気持ちで補ったことが、チームの快進撃を支えたのだろう。

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