「練習の選択肢は選手が自分で選択してやっていくべきだと思う」/ 東北 ダルビッシュ有選手

2004年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは8強、選手権では16強まで勝ち進んだ宮城県の東北高校

当時、チームのエースを務めていたのは、前年夏の甲子園で2年生ながら中心投手として準優勝へ導いたことで、注目を集めていた、ダルビッシュ有選手である。

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ダルビッシュ選手は、中学2年時の途中から投手を始めるも、3年時にはエースとして全国大会8強進出に貢献したことで、高校進学時には複数の学校からの誘いがあった。 

そんな中、先輩や指導者の暖かい雰囲気が適していると判断し、東北高校へ進学するも、入学以降は成長痛に苦しめられ、他の選手たちと同じメニューをこなすことができずにいた。

それでも、身体の「痛み」を理解し、調整の仕方や練習メニューを一任してくれた若生監督の配慮がダルビッシュ選手の支えとなり、1年秋には、背番号1を背負い、チームを東北大会優勝へ導く投手にまで成長した。

続く、初の全国大会となった神宮大会では、最速147キロ12奪三振を記録するなど、衝撃の全国デビューを果たし、より多くの注目を集めるようになった。

2年時には春夏甲子園出場し、怪我や成長痛のある中で、夏には準優勝へ導き、翌年のセンバツでは、ノーヒットノーランの大記録も達成した。

最後の夏は、3回戦で延長の末敗れ、優勝を逃したものの、4度の甲子園出場で、球史にその名と記録を残したのであった。

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