長い高校野球の歴史で、選手として甲子園に出場後、監督として再び甲子園に帰ってくるケースは決して稀ではない。
しかし、選手としても、監督としても「旋風」を起こしたのは、興南高校の我喜屋優監督が史上初であろう。
1968年の選手時代には主将兼4番打者として県勢初の四強進出(当時の県勢最高記録)の立役者となった。
監督として臨んだ、2010年には史上6校目の春夏連覇と県勢初の夏の優勝を成し遂げたのである。
そんな我喜屋監督は、野球の技術より普段の生活を徹底して指導している。
自身の経験から野球の試合は「技術の差」ではなく、「小さなミス」の差であると考え、「小さなミス」の原因でもある、私生活の指導に拘っている。
そのため、興南高校の野球部には、「椅子や食器の音を立ててはいけない」、「ワイシャツは第一ボタンまでしめる」など、他校と比較すると細かいルールが圧倒的に多い。
そして、それらの約束事を守らない選手は、技術がどれだけ高くても試合に出場させないというほど徹底している。
日常生活のミスが、野球でのミスを誘発するかは定かではないが、我喜屋監督就任後に私生活を徹底したことで、僅か4ヶ月弱で甲子園の切符を掴んだのである。
また、3年後には春夏連覇を成し遂げているという結果を見ると納得しざるを得ない。
世間からは、あまりにも多すぎる生活ルールや変わった指導によって批判を浴びることもある。
だが、どんな逆境や環境でさえも、ベストを出させ、選手と目標を信じ続ける我喜屋監督は間違いなく名指導者である。
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