途切れなく響く打球の音から「やまびこ打線」と称された徳島県の池田高校。
名だたる強豪校を攻撃型野球で倒し、一時代を築いた公立の名門である。
そんな池田高校を全国レベルに育て上げたのが蔦文也監督である。
「攻めダルマ」としてファンから親しまれていた蔦監督の野球は文字通りの超攻撃野球であった。
送りバントやスクイズなどの小細工にもほとんど頼ることなく金属バットの特性を最大限に活かすための野球を追求し続けていた。
当時の高校野球界ではほとんど行われていなかった「筋力トレーニング」を積極的に取り入れたことで、外野フライが本塁打になり、芯を外れても飛距離の出る打球を打てるようになり、高校野球界の攻撃スタンスを大きく変えた。
しかし蔦監督は、決して直ぐに結果が出たわけではなかった。
長年の野球の常識を変えることは簡単ではなく、たくさんの失敗や挫折を経験していた。
また、徳島商業や鳴門高校などの名門が揃う地区予選でも苦戦は続いていた。
だが、蔦監督は「負けからのスタート」で様々なことを学び選手とともに成長していったのであった。
監督就任後は20年間甲子園にたどり着けなかった名将は誰よりも苦しみを理解していたため、結果の出ない選手やチームを決して見捨てることなく育てていたのだ。
何度負けても立ち上がり、何度失敗しても、諦めずに挑戦し続ける蔦監督の生き方こそが、「攻撃型野球」を作り上げたのだろう。
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