愛知の伝統校東邦で監督として、春夏甲子園に24回(春13回、夏11回)出場経験を持ち、1977年の夏の選手権、88年センバツは準優勝、89年センバツには優勝へチームを導いたのが阪口慶三監督である。
2004年に東邦を勇退後は、大垣日大の監督として07年にセンバツ準優勝し、無名だった高校を全国レベルに育て上げた。
阪口監督は、東邦時代「鬼の阪口」と称されるほど厳しく選手を指導していた。
しかし、大垣日大の監督就任後は選手に「優しい言葉」をかけ、「チームの雰囲気」を高める指導法に変えた。
時には嘘や演技で選手を鼓舞することもあるが、基本的には選手たちとは「ありのまま」で向き合っている。
両校での指導は対照的だが、優しさや愛情を心の底から持ち、選手を愛し、選手を思いやる気持ちは一度も変わってはいない。
東邦時代は、選手たちを愛しすぎるあまり、「勝たせてあげたい」という気持ちが強くなりすぎ、練習がエスカレートし、結果的に「鬼」と称されていたのであった。
叱ったり褒めたりしながら、阪口監督は常に、「人間」を「人」に変えることを意識して指導している。
野球を通して、優しさや喜び、辛さや悲しみなどの様々な感情を経験させ、温かみのある「人」として選手たちを卒業させる。
70歳を超えても「監督」と「選手」ではなく、「先生」と「子どもたち」という独自の関係性を築きながら、「人間」から「人」へと成長し続ける教え子たちと、阪口監督の「夢」を追う物語はまだまだ続きそうだ。
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