2011年の秋の神宮大会で、準優勝を成し遂げ、翌年のセンバツでは8強に進出を果たした、愛工大名電高校。
当時、チームのエースとして全国から注目されていたのが、花巻東の大谷選手、大阪桐蔭の藤浪選手と肩を並べ、「高校BIG3」の一角と称されていた、濱田達郎選手である。
濱田選手は、入学直後から、注目を浴びる存在ではなかったが、同級生が公式戦で躍動する姿勢に刺激を受け、自らに厳しいノルマを課して練習に励んでいった。
その結果、1年の秋には、エースナンバーを背負い、県大会を制する投手にまで成長し、地区大会のセンバツ出場をかけた大一番で敗れたものの、激戦区を勝ち抜いたことは、大きな自信となっていった。
センバツを逃した悔しさから、2年の春にかけて、体重を10キロ絞り、走り込みで下半身を強化し、バランスボールで体幹を鍛えるなど、徹底した身体づくりで、球速を10キロアップさせることに成功した。
また、試合で力を発揮するためにも、メンタル面の見直しを行い、「喜怒哀楽」の感情をコントロールし、試合や目の前の一球に集中する投球術も身につけ、味方のミスや好プレーにも動じないメンタルをも武器としていった。
2年の夏は決勝で敗れるも、新チームとなった秋の大会では、神宮大会の決勝までチームを導く、豪腕へと更なる進化を遂げた。