1998年の夏の甲子園に、県大会3連覇を成し遂げ出場した、鹿児島実業高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園の初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せていた、杉内俊哉選手である。
杉内選手は、小学4年時から野球を始めると、6年時には投手として全国大会出場へ導き、16強進出を果たすと、中学時代には、全国大会準優勝も経験した。
野球だけでなく、寮生活への憧れがあったことから、強豪で寮もある鹿児島実業に進学すると、基礎練習を丁寧に繰り返したことで、更なる成長を遂げていった。
特に、長距離走などのランメニューや、下半身を強化するためのトレーニングを手を抜かずに取り組んだことで、球速、球質が向上していったのだ。
また、変化球の精度とストレートのコントロールを高めるために、イメージトレーニングやメンタルの整え方なども身につけ、2年時にはエースとして甲子園のマウンドを経験した。
迎えた、最後の夏は、周囲から優勝候補として注目される中、本来のピッチングを発揮し、県大会47イニングと2/3で64奪三振の好投を見せ、チームを甲子園へと導いた。
続く甲子園でも、「南国のドクターK」として期待される中、初戦で16奪三振104球の完璧な投球内容で、見事、ノーヒットノーランを達成したのであった。