2006年の夏の甲子園に、4年ぶりに出場を果たした島根県の開星高校。
当時のチームで、1番遊撃手として出場していたのは、高校通算93盗塁を記録する俊足好打の切り込み隊長として注目されていた、梶谷隆幸選手である。
梶谷選手は、俊足を活かしたプレースタイルが評価され、開星に入学後すぐの春の大会からレギュラーとして出場し、順風満帆の高校野球のスタートをきったのであった。
しかし、1年秋に「ヘルニア」を発症し、ドクターストップを告げられ、野球を諦めざるを得ない状況にまで追い込まれたのであった。
それでも、柔軟体操でリハビリ行えば、再び野球ができる可能性があるという、僅かな希望を信じ、梶谷選手はストレッチに励むようになっていった。
懸命にリハビリを続けたことで、症状も緩和しグランドへ復帰することができ、徐々に本来のプレーを発揮できるまでに回復していった。
その後も、再発や悪化を防ぎ、時間や場所を見つけては、ストレッチを行うなど、身体のケアを徹底して続けたことで、身体を上手く使った動きがプレーにも加わり、成果も残せるようになったのだ。
怪我の功名でさらに進化した梶谷選手は、プロからも注目される存在へと成長し、最後の夏に悲願の甲子園出場を果たしたのであった。