1984年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子では、4強まで勝ち進んだ、秋田県の金足農業高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、ストレートとカーブを軸に、打たせてとるスタイルを持ち味としていた、水沢博文選手である。
水沢選手は、小学2年時から野球を始め、足腰の強化を目的にラグビーも習うなどを経て、中学へ進学すると、1年秋から主力投手を担うようになった。
中学時代は地区予選で敗れるなど、思うような結果が残せていなかったが、金足農業入学後の、厳しい練習を日々乗り越えることで、成長を遂げていった。
しかし、2年夏には下馬評は高かったものの、相手チームの1年生エースに翻弄され、県大会決勝で敗れるという悔しい結果に終わった。
そんな敗戦を糧に、2年秋の新チームでは、東北大会準優勝を成し遂げると、冬には精神面を鍛える合宿を行い、心身を強化し、センバツに挑んだ。
迎えたセンバツでは、2戦目で優勝チームに敗れるも、優勝校相手に互角に等しい試合をできたことに手応えを感じ、春夏連続出場のプレッシャーを跳ね除け、夏の甲子園出場も果たした。
最後の夏は、甲子園で夏の初勝利を挙げると、準決勝まで勝ち進み、強豪、PL学園を最後まで苦しめるなど、「金農旋風」を巻き起こしたのであった。