70年代に黄金時代を築いた、和歌山の伝統校、箕島高校は公立高校で唯一の春夏連覇を成し遂げた名門である。
そんな全国レベルのチームへと育て上げたのが尾藤公監督である。
ファンからは、「尾藤スマイル」として親しまれていた名将も、監督就任時は「鉄拳制裁」でチームを鍛え上げていた。
しかし、力尽くでの指導には限界があり、チームの雰囲気や結果は悪くなっていった。
ミーティングをした際に、選手たちが監督に慕っているのではなく、強制的に従っている状態となっていたことに気づき、指導方針を百八十度変えたのであった。
そこで、尾藤監督が力を入れたのが、「言葉」による選手の育成であった。
選手たちの性格を把握しアメとムチを使い分けながら、怒られ事で力を出す選手には、反発させるようあえて怒り、怒られると力を出せない選手には、優しい言葉で指導するなど、工夫を凝らしていた。
言葉の指導は難しいことも多く、時には意見が食い違い選手と喧嘩することもあった。
だが、時間とともに選手も監督も我慢や気を使わず、本音を言い合える環境を作り上げていったのであった。
「鉄拳制裁」によりチームがバラバラになっていたが、指導方針を見直したことで、チームが一丸となり、控え部員とレギュラーの間にあった溝も埋まり、「集団」から「組織」へと変化を遂げたことが、箕島を強くしていったのだ。
箕島の伝統となり全国に広まっていった「言葉」による指導は、済美の上甲正典監督や大垣日大の阪口慶三監督にも影響を与えた「尾藤スマイル」とともに受け継がれていくだろう。
「「監督の言うことを素直に聞くような子は、監督を超えるような存在にならん」/ 箕島 尾藤公監督」への2件のフィードバック