2005年の夏の甲子園で、優勝候補の筆頭として注目を集めて、4強まで勝ち進んだ大阪桐蔭高校。
そんなチームを務めていたのが、大会ナンバー1サウスポーとして注目を集めていた、辻内崇伸選手である。
辻内選手は、中学時代に120キロ後半を記録していたが、全国レベルの選手が揃う大阪桐蔭では、入学時から目立つこともなく、1年時は試合に出場する機会はほとんどなかった。
しかし、日々3.5キロ離れたグランドまでの山道を走っていく習慣や、1年の冬場から下半身と体幹を強化するメニューをこなしていくうちに、球速は140キロを超えるまでに成長を遂げていった。
簡単にはレギュラーになれなかったものの、2年時からはチーム内での評価も上がり、夏には主戦投手にもなった。
辻内選手にとって初の甲子園を目指した2年夏は、1年生投手の前田健太選手擁するPL学園との大阪府大会決勝戦では、先発を任され力投するも、チームは延長引き分け再試合の末敗れたのであった。
その悔しさが更なる進化を支え、球速だけでなく球質も成長して迎えた3年夏には、大阪を制して初の甲子園出場を果たしたのであった。
甲子園でも、チームの大黒柱として活躍し、2回戦では19奪三振の大会タイ記録に並ぶと、敗れた準決勝でも10回16奪三振の好投と、甲子園初本塁打を放ち、記録と記憶を残したのであった。