「苦楽を共有した経験が、強い絆となっている」/ PL学園 前田健太選手

2006年のセンバツ大会で、ベスト4に進出を果たした大阪のPL学園高校。

当時、チームを支えていたのは最速148キロのストレート、高校通算27本塁打を記録していた、前田健太選手である。

PL学園の記事はこちら。

前田選手は、小学生時代から運動能力の高さを発揮し、野球と水泳で西日本大会を優勝すると、中学時代には野球で日本代表に選出され、世界大会の優勝に貢献するだけでなく、MVPを受賞するなど数々の実績を残し、期待を集める中で名門PL学園に進学した。

しかし、入部当初は厳しい寮生活や部のスタイルなどになじめない日々が続き、全国トップレベルの選手たちが集う中でのレギュラー争いにも苦戦を強いられていた。

全国でも1、2を争う厳しい部のルールは、グランド内にとどまらず、上級生の洗濯をする仕事などもあり、常に時間に追われ、自由な時間は限られていた。

それでも、同じ辛さを経験している仲間と励まし合いながら、早朝から深夜までに及ぶ過酷な練習を続けるなど、青春の全てを野球に捧げて取り組んでいった。

その結果、1年夏からベンチ入りを果たすと、大阪大会の決勝戦再試合を完投し、甲子園へチームを導く立役者となった。

1年夏は甲子園の初戦で敗れるも、3年のセンバツでは初戦で16奪三振、2回戦では完封、準々決勝では「ホームスチール」を記録するなどの活躍を見せ、球史にその名を残したのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です