2010年の夏の甲子園で、チームの歴史を塗り替える選手権初勝利を挙げた、大阪府の履正社高校。
当時チームの主軸を務めていたのは、高校通算31本塁打を記録し、大会ナンバー1スラッガーとして注目を集めていた、山田哲人選手である。
山田選手は、履正社高校に入学すると、1年夏からベンチ入りを果たし、2年夏には二塁手としてスタメン出場するなど、チームの中心選手であった。
しかし、1年夏は大阪桐蔭に、2年夏にはPL学園に敗れるなど、全国トップレベルの強豪に何度も甲子園の道を阻まれていた。
最終学年となった新チームでは、3番遊撃手として活躍を見せる反面、レギュラーの3年生は3人だけであり、山田選手の学年は周囲から「史上最弱」とまで称されていた。
それでも、技術を上回るチームワークを強化したり、つなぐ野球を徹底するなど、独自のチームカラーを作り上げ、1点にこだわる練習を続けていった。
そして、山田選手個人としても、どんな人の話でも素直に聞き入れ行動に移すなど、新たな取り組みを行い、半年間の間で急速な成長を遂げていった。
最後の夏には、悲願の甲子園出場を果たすと、初戦で本盗を決める活躍を見せ、チームに夏の初勝利をもたらすと、2戦目では本塁打を放つなど、有終の美を飾ったのであった。