2007年の夏の甲子園で、百崎敏克監督率いる佐賀北高校は、「チーム力があれば全国制覇を成し遂げられる」ということを証明した。
当時の佐賀北は、甲子園未勝利ということもあり、初戦突破が合言葉で、百崎監督含め、誰も日本一など予想していなかった。
しかし、百崎監督が長年の指導キャリアで学び、重視して作ってきたチーム力で勝つ野球は、強豪校や優勝候補も飲み込むほどの武器であった。
チーム力を鍛える場合、選手全員の考えや気持ちを統一することを目指し、個性の主張より集団の尊重を優先するのが、これまで行われてきた一般的な方法である。
もちろん、佐賀北野球部にも、「野球ノートを毎日書く」、「履き物を揃える」といった最低限のルールは存在しており、守れない部員には厳しい指導を行っていた。
だが、百崎監督は、選手たちの個性を潰すような指導はせず、長所だけでなく短所も個性として尊重し、選手一人一人の個性を把握し、采配や指導に活かしていた。
また、グランド内でも個人の尊重を行い、自身の技術や野球観を押しつることはせず、例え指導者のアドバイスを無視した場合でも、自分なりの考えやスタイルしっかりと持っている選手を怒ることはしなかった。
そして、選手それぞれにある個性が生かせるポジションを作り、レギュラーや控え選手に関係なく、代わりのいない役割を担わせ、責任感と達成感を常に持たせていた。
役割は、試合でチームを引っ張るといったものから、レギュラー選手のサポートをするというものもあり、中には、学校でテスト勉強を教えるといった、グランドの外にまで細かく分担されていた。
選手たちの特性を瞬時に見極める役割を担っていた百崎監督も含めて、一つのチームだったからこそ、佐賀北は、最高にして最強のチーム力で全国を制することができたのだろう。