「地道に自分でやっていく気持ちの強い人間が最後に勝つ」/ 福井工大福井 大須賀康浩監督 昭和1976年のセンバツ大会で、初出場ながら8強まで勝ち進み、以降10回を超える甲子園出場を誇る、福井工大福井。 そんなチームを2001年から継承し、春夏合わせて7度、甲子園に導いたのが、北陸の名将、大須賀康浩監督である。 2018年夏に監督を勇退し、その後は総監督として、技術の指導だけでなく、スカウトや指導者の育成なども行っている。 続きを読む
「努力を『勝つ』ということで結び付けてあげたい」/ 松山商業 重澤和史監督 1902年の創部後、甲子園で春夏合わせて6度の全国制覇と、80を超える勝ち星を挙げるなど、高校野球界をけん引してきた名門、松山商業高校。 甲子園の歴史上初の決勝戦引き分け再試合を制して優勝した69年の夏の甲子園や、「奇跡のバックホーム」で全国制覇を手繰り寄せた96年夏の甲子園などを筆頭に、夏の甲子園で圧倒的な強さを残していることから、「夏将軍」と称されている。 そんな名門を2009年から率いているのは、川之江高校の監督として夏の甲子園4強へと導いた実績を持つ重澤和史監督である。 続きを読む
「人の痛みが分かる人間になりなさい」/ 明石商業 狭間善徳監督 夏の県予選は2010年以降ベスト8以上という驚異的な記録を筆頭に、近年県内では抜群の安定感を残している明石商業高校。 地区大会でも、上位進出の常連でもあり、甲子園初出場となった16年のセンバツでは8強、その後の19年は春夏連続の甲子園4強進出と、優勝候補にも名を連ねている。 そんなチームを指揮するのは、名門、明徳義塾高校の附属中学の軟式野球部を4度の全国制覇へ導いた実績を持つ、狭間善徳監督である。 続きを読む
「負ける明確な理由がないのだから、あらゆる手を尽くして勝ちを探すのだ」/ 米子東 紙本庸由監督 第1回大会が開催された大正4年から、一度も欠かすことなく夏の甲子園予選会に出場している数少ない「皆勤校」でもある、鳥取県の米子東高校。 昭和35年のセンバツでの準優勝を筆頭に、甲子園でも多くの勝ち星も記録し、春夏合わせて20を超える出場回数は、山陰地方ではトップレベルである。 昭和の30年代や昭和の終わりから平成初期にかけては甲子園常連校として、躍進していたものの近年は、甲子園から遠ざかり、夏は平成20年から6年連続県大会初戦敗退など低迷しつつあった。 続きを読む
「『これだけやったんだ』という自信を持たせることが大事」/ 札幌大谷 船尾隆広監督 2009年に創部後、道内では上位進出を続け、18年秋の神宮大会で全国制覇を成し遂げた、北海道の札幌大谷高校。 19年のセンバツでは、初出場初勝利を挙げるなど、近年の北海道の高校野球を引っ張る存在となっている。 チームを指揮しているのは、函館大有斗高校で1987年夏、88年春に2季連続で甲子園出場した経験を持つ、船尾隆広監督である。 続きを読む
「苦しさの向こうにしか喜びはない」/ 筑陽学園 江口祐司監督 2003年の夏の甲子園に初出場を果たすと、18年の秋は九州大会を制して、神宮大会4強まで勝ち進むなど全国レベルの実績を残している福岡の強豪、筑陽学園高校。 19年は、センバツで大会で初出場ながら8強に進出すると、夏の福岡大会も制して春夏連続出場を決めるなど、近年力をつけている。 チームを指揮しているのは、92年に西日本短大附属のコーチとして、夏の甲子園優勝へとチームを導いた実績をもつ、江口祐司監督である。 続きを読む
「忍耐力がつき、生涯の友人ができるのも高校野球です」/ 県岐阜商 藤田明宏監督 甲子園では、春夏合わせて4度の全国制覇と6度の準優勝を誇り、80を超える勝ち星を残している、名門、県立岐阜商業。 私学勢が中心となっていった平成の時代には、5大会連続初戦敗退とやや苦しんだものの、10勝を挙げ、初出場時から長期間甲子園出場を逃すことなく安定して出場している。 そんな、名門を率いていたのが選手時代に県岐阜商の主将として甲子園を経験している、藤田明宏監督である。 続きを読む
「選手に任すのは怖い面もあるけど、勇気を持たないとだめ」/ 津田学園 佐川竜朗監督 1996年のセンバツに甲子園初出場を果たすと、2度目の挑戦となった2002年のセンバツで初勝利を挙げた、三重県の津田学園。 その後は、約15年甲子園からも遠ざかっていたものの、2017年に夏の甲子園初出場を果たし、初勝利を挙げると、2019年は春夏連続で甲子園出場するなど、近年再び力をつけている。 そんなチームを2008年から指揮しているのは、PL学園の選手として甲子園に出場し、社会人野球でのプレー経験も持つ佐川竜朗監督である。 続きを読む
「無駄に思えることも必要だったんだと後から分かる時もあります」/ 智弁和歌山 中谷仁監督 平成最強と称されている大阪桐蔭と並んで、平成の時代に甲子園で春夏合わせて63の勝ち星を挙げている智弁和歌山。 甲子園では、昭和63年の初出場後は5大会続けて初戦敗退というスタートであったが、6度目の挑戦で初勝利を挙げると、平成6年のセンバツで初優勝を果たし、9年、12年には選手権で全国制覇を成し遂げている。 そんな名門、智弁和歌山を全国レベルの強豪に育て上げ、甲子園最多勝利監督の記録を残した高嶋仁監督からバトンを引き継ぎ、平成30年の秋からチームを指揮しているのが、中谷仁監督である。 続きを読む