「いちいち監督に頼るような野球をやるな」/ 日本文理 大井道夫監督

センバツ大会では、2006年まで一度も勝利を挙げたことがなかったことから、「全国最弱」とまで称されていた新潟県勢。

そんな県の歴史を塗り替えたのが、「強打」を代名詞にチーム作りを行っていた、日本文理大井道夫前監督である。

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「自分で考えることができる個人が完成して、初めてチームプレーがある」/ 日本文理 大井道夫監督

2009年の夏の甲子園で、球史に残る、最終回二死走者無しからの5点を挙げ1点差に迫る怒涛の追い上げを見せ、県勢初の準優勝を成し遂げた新潟県の日本文理高校。

そんな日本文理で1986年から2017年まで指揮をとり、春夏合わせて14度甲子園へ導いたのが、大井道夫監督である。

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「答えは監督が先に言っちゃダメ」/ 日本文理 大井道夫監督

「大逆転劇」でもなければ、「延長戦による死闘」でもないが、高校野球史に残る名勝負として語り継がれているのが、91回大会の日本文理中京大中京の決勝戦だ。

前評判どおりの圧倒的な強さで、試合を優位に進め6点差で最終回を迎えた中京大中京の優勝を誰もが確信した最終回の二死走者無しからドラマは始まったのだった。

球場に密かに広がる「諦めムード」を振り切るかのごとく、粘り強く、しぶとく、そして執念で5点を取り1点差にまで詰め寄るという怒涛の追い上げを繰り広げたのであった。

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「試合には負けたけど、甲子園を目指す練習はしたんだ」/ 日本文理 大井道夫監督

甲子園で中々成績を残せていなかった新潟県勢。

そんなレッテルに終止符を打ったのが日本文理である。

2009年夏の甲子園で、県勢初の準優勝を成し遂げたのだ。

中でも、決勝戦では、最終回二死走者無しからの5点をとる怒涛の追い上げで球史に残る名勝負として、今後も語られるであろう好ゲームを繰り広げた。

チームを指揮していたのが、大井道夫監督である。

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