2012年のセンバツ大会に夏春連続で出場を果たし、優勝候補にも挙げられていたのが、岩手県の花巻東高校である。
当時チームの投打の中心選手として、全国から注目を集めていたのが、大谷翔平選手である。
小学3年生から野球を始めた大谷選手は、県勢初のセンバツ準優勝を成し遂げた09年の花巻東のチームカラーと菊池雄星選手に憧れ進学した。
小学5年時に110キロを超える球速を記録していたことや、中学時代に全国大会に出場していたこともあり、入学時から注目を浴びていたが、身体の成長段階であるという指導者の判断から、1年時は投手より負担の少ない野手としてスタートしていった。
野手の時代には、明確な目標を立て、自己管理を徹底し、反省して課題を見つけるなど、技術以上に、目的への正しいプロセスを学び身につけていった。
目標にも具体的な数字や達成までの日数を掲げ、グランドだけでなく私生活においても一日一日の過ごし方に細かくノルマを設けていた。
その結果、1年秋の新チームからは投手としても結果を残しはじめ、怪我で調整が難しい中で出場した2年の夏の甲子園では、2年生としての最速記録に並ぶ150キロを記録するなど、確実に成長を遂げていった。
迎えた最後の夏は甲子園出場は逃すも、アマチュア野球史上初の160キロを記録し、高校野球の歴史に名を残したのであった。