「自分の野球観を押し付けずに、どう切り替えていくかも重要」/ 拓大紅陵 小枝守監督

数々の結果を残し、日本代表監督も務めながら、「高校野球は人間教育の場」という、自身の信念をブレることなく貫き指導を続けていたのは、日大三高拓大紅陵を指揮した、小枝守監督である。

1992年に、当時では異例の、複数の投手起用甲子園準優勝へと導き、名監督という肩書きを背負って以降も、結果以上に拘ったのは、選手たちの成長であった。

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「技で人は動かず、心が人を動かす」/ 拓大紅陵 小枝守監督

1992年の夏の甲子園での準優勝を筆頭に、甲子園や千葉県内で数々の実績を残している、拓大紅陵高校。

そんな拓大紅陵を全国レベルの強豪に育て上げたのは、日大三高で監督を務めていた経歴を持つ、小枝守監督である。

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「選手達を信頼していましたから」/ 拓大紅陵 小枝守監督

高校野球界では、「戦国の千葉」と称されている激戦区で、昭和の終わりから平成初期にかけて一時代を築き、その後も県のトップに名を連ねている 名門拓大紅陵

昭和59年のセンバツに初出場すると、甲子園常連校として、全国から注目を集め、平成4年の夏の甲子園では、名門、強豪、甲子園優勝経験校などを倒し堂々の準優勝を成し遂げた。

そんなチームを平成26年まで指揮していたのが、名将小枝守監督である。

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