1998年の夏の甲子園で、ベスト16まで勝ち進んだ、東京都の帝京高校。
当時、チームの主将を務めていたのは、甲子園での1本を含む、高校通算34本塁打を記録していた、森本稀哲選手である。
森本選手は、小学生時代、野球と並行してサッカーを習っていたが、中学進学と同時に、野球に専念することを決めると、厳しいチームへと進み、力をつけていった。
帝京高校に進学後は、壮絶なランメニューや、過酷なノックなど、強豪校ならではの厳しい練習に苦しめられるも、一つ一つをこなし、1年時からレギュラーの座を掴むこととなった。
しかし、全国トップレベルの名門校という肩書きに過信し、甲子園出場を安易に考えていた気持ちの緩みが、要所要所で表れ、3年春まで1度も全国の舞台へは立てなかった。
そこで、主将として臨むこととなった最後の年には、甲子園に出るには、チーム力が必要も考え、部員全員と対話を繰り返し、性格や個性を見極めるなどを行い、まとめ役に徹した。
そして、技術面だけでなく、メンタルの部分も強化をしたり、準備をする癖をつけさせ、余裕を持って試合に臨めるよう、練習の意識を変えることも行った。
迎えた最後の夏は、チーム力で甲子園を勝ち取ると、全国の舞台でも勝利を挙げ、森本選手自身も、本塁打を放つなどの活躍を見せたのであった。