高嶋監督は当時県内ですら無名であった智弁和歌山を、全国で勝てるチームに育て上げたのだ。
高嶋監督の甲子園で挙げた勝利数はは68勝を記録し歴代1位である。
そんな高嶋監督といえば、ベンチの最前列で仁王立ちで試合を見つめる姿が有名である。
どんな状況の試合でも百戦錬磨の名将は、選手を信じ、選手以上に「勝利への執念」を持ちながら試合を見続けていた。
65歳を超えてからは、甲子園から遠ざかることや、甲子園でも8強の壁に阻まれたり、体力の限界が心配される声もあった。
しかし、70歳を超えてから挑んだ2018年のセンバツでは、準々決勝の創成館戦、準決勝の東海大相模戦、共に5点差以上の劣勢の状態を逆転し2002年の夏以来の甲子園の決勝まで勝ち進み準優勝を成し遂げたのだった。
準優勝の要因を聞かれると「監督のしぶとさが選手に乗り移ってくれた」と笑いながら話していたが、この気持ちの強さこそが、高嶋監督の野球であり、智弁和歌山の強さなのだろう。
2018年夏に名将は勇退したが、甲子園の記録にも記憶にも残る、レジェンドとして永遠に語り継がれるだろう。
そして、「勝利への執念」と、智弁和歌山の代名詞でもある「逆転劇」は、中谷仁新監督にも受け継がれていく。
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