1995年のセンバツ大会で、16強まで勝ち進んだ、神奈川県の東海大相模高校。
当時、2年生ながらチームの5番打者を務めていたのは、初戦で3安打3打点の活躍を見せ、勝利に大きく貢献した、森野将彦選手である。
森野選手は、高校野球界屈指の名門、東海大相模へ進学すると、大好きな野球に一生懸命取り組む姿勢と、能力の高さが評価され、1年時よりレギュラーを任されることとなった。
そんなスタートを後押しするかのように、必要だと感じる練習は、自分で考えて実践するチームのスタイルが、森野選手の成長を後押し、1年秋の大会で活躍し、センバツ出場に貢献した。
迎えた、 センバツの初戦では、3本の長短打を広角に打ち分け、3打点を挙げるなど、自身の活躍を全国に知らしめ、注目を集める存在となった。
しかし、注目されたことで、他校から警戒されることも増え、公式戦では敬遠されることも多くなると、最後の夏の県大会直前には、怪我を発症し、出場すら危ぶまれるまでに至った。
それでも、大好きな野球のために、できる努力とリハビリを、コツコツ続けたことで復活を果たし、何とか大会にも間に合った。
夏の大会は、県大会準々決勝で敗れ、甲子園出場を逃すも、最後の試合では、 高校通算38本目となる本塁打を放ち、球史にその名を残したのであった。