2年連続の出場となった、1995年の夏の甲子園で、チームの最高成績となる4強進出を果たした、福井県の敦賀気比高校。
当時、チームのエースを務めていたのは、3回戦で延長15回を一人で投げ抜くなどの活躍で快進撃を支えていた、内藤剛志選手である。
内藤選手は、中学時代の恩師が顧問となる予定であった、当時無名の敦賀気比に進学し、共に甲子園を目指すこととなった。
しかし、同級生には、1年生ながらプロから注目されるような選手も在籍しており、入部当初はチームのレベルの高さ圧倒され、レギュラーすらも諦めかけていた。
それでも、ライバルの存在は、身近な目標となったことに加え、仲間の頑張る姿に触発されるかのように、自主練習に励むようにもなっていった。
特に、全体練習量後には15キロを、朝には近くの砂浜を走り込むなど、下半身とスタミナの強化を人一倍こなしたことで成長し、最後の夏にはエースを任されるまでになった。
迎えた最後の夏は、2年連続の甲子園出場に貢献すると、3回戦では、延長15回213球を投げ抜き、勝利をもたらしたのであった。
準決勝では、優勝校相手に敗れるも、未だ破られぬ夏の甲子園のチーム最高成績と、三年間の努力で身につけたものは、内藤選手の一生の財産となっている。