平成10年の春夏連覇を含めた甲子園での勝ち星は、平成の時代では東日本勢トップタイの41を記録している。
チームを全国レベルに育て上げた、渡辺元智監督、小倉清一郎コーチの名指導者のあとを継いだのが、平田徹監督である。
平田監督は、横浜のOBでもあり、3年の夏の甲子園では主将として甲子園四強へチームを導いた実績や、平成18年よりコーチとして、10年からは部長としてチームを支えていた経験もある。
渡辺監督の勇退後の15年に監督就任すると、4年連続(16~18年夏、19年春)に、チームを甲子園出場させるなどの実績を残した。
平田監督は横浜高校の伝統を受け継ぎながらも、 「自主性」を重視し選手たちを指導していた。
全てを監督や指導者が管理するのではなく、サポート以上の行動はとらず、課題の発見、解決を自力でできるようにさせていた。
そのため、オフ期間の練習では選手たちにメニューを考えさせることもあるが、監督は選手たちが決めたメニューに対して否定はしない。
自ら考えたメニューに取り組む選手たちを、見守りながら、良い点や気になったことをメモし、練習が終わるごとに褒めたり、改善策の提案をしたりし、成長の手助けをしていた。
また、このような「考える」機会は、ほかの様々な場面でも与えていた。
日々の練習に対してどのような姿勢で取り組むかなどの、気持ちの面にも「考える癖」をつけさせていた。
作戦によっては思い切りの良さが必要なものもあれば、細さが求められるものもあり、「目的」に応じた気持ちの持ちようを、実際に様々な場面を想定し体験をさせていた。
「練習で何を意識するか」や「何を目標とするか」など、選手たちに考えさせ、対話を通しながら、正解に持っていくのが平田監督のスタイルであった。
例え選手が出した答えが正解ではない場合でも、頭ごなしに否定するのではなく、答えに近づけるようなアドバイスを送りながら、「考える力」を鍛えさせていた。
悪い面が出てしまうと、全体の統制がとれなくなる「自主性」を「考える力」がカバーしていたことで、強いチームが作れていたのだろう。
「選手ファースト」の指導が、横浜高校史上初の神奈川大会3連覇という新たな歴史を作り上げたのだろう。
「「目標に向かって自ら成長していくのが君たちの仕事だ」/ 横浜 平田徹監督」への2件のフィードバック