甲子園で春夏合わせ2度の優勝と2度の準優勝を記録する、茨城の名門、常総学院高校。
平成の30年間で、甲子園で30を超える勝ち星を挙げている全国を代表する、高校野球の強豪校である。
そんなチームで指揮を執っていたのが木内幸男監督である。
木内監督は、茨城県勢の球史を彩る取手二高と常総学院の両校で監督として、甲子園通算40勝という成績を残している。
1984年には、取手二高の監督として、KKコンビを擁するPL学園を延長の末破り、県勢初の全国制覇を成し遂げると、2001年センバツと03年夏は、常総学院で全国制覇を達成した。
木内監督の野球は、「木内マジック」と称される、大胆な作戦や意表を突く選手起用などで甲子園を勝ち抜いていた。
しかし、「木内マジック」にはタネも仕掛けもない、采配であった。
日々の練習で選手を観察しつくし、野球のうまさや個人の性格、勝負強さや長所短所など、細かく自チームの選手たちを把握していた。
選手達に無いものを求めてできるようにさせるのではなく、持っている能力を活かすように選手起用をしていたのだ。
成果や勝利で喜びを覚えさせて育てるという独自の考えがあった。
この方法は、結果を急ぐ若者にとって最も信頼関係を築きやすく、選手たちからは慕われていた。
高校野球界では、名将と呼ばれれば呼ばれるほど、道徳論や人間形成を語る人も多いが木内監督は全くせず、本音を隠さず言葉にし、嘘をつかずありのままで選手たちと向き合っていた。
日々築き上げた信頼関係と、日々続けた選手の観察が、木内野球の軸となり、強さを支えていたのだろう。