「練習試合は負けてもいい」/ 智弁学園 小坂将商監督

半世紀近く「奈良県の2強」として、天理高校と県を引っ張っている、名門智弁学園高校。

甲子園の常連校であり、甲子園最多勝利の記録を持つ、高嶋仁監督智弁和歌山前監督)が最初に指揮を執っていた学校としても有名である。

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「いいものはいい、ダメなものはダメ」/ 作新学院 小針崇宏監督

史上初めて甲子園で春夏連覇を成し遂げた栃木の名門、作新学院高校。

昭和30〜40年代にかけて、甲子園で躍進を続けていたものの、昭和の終わりから平成初期は甲子園でも勝てず、出場すら厳しい状態となっていた。

そんな、低迷期に監督として就任し、31年ぶりに夏の甲子園へチームを導いたのが、若き名将、小針崇宏監督である。

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「相手を出し抜くには、自らの気づきと知恵が必要なんです」/ 高松商 長尾健司監督

「四国四商」の一角として、徳島商松山商高知商、と共に野球王国四国を牽引している伝統校、高松商業

記念すべき第1回センバツ大会の制覇も含め、春夏甲子園4度の優勝を経験し、甲子園出場回数は、春夏合わせて40回以上など、数々の記録を残している。

そんな伝統校も平成8年を最後に20年間甲子園から遠ざかっていた。

しかし、2015年の神宮大会を制し、2016年のセンバツに出場を果たすと準優勝を成し遂げ復活を果たした。

そんな名門の復活の立役者となったのが、現在チームを指揮する長尾健司監督である。

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「本物とは、中身の濃い平凡なことを積み重ねること」/ 前橋育英 荒井直樹監督

2013年夏の選手権大会を初出場初優勝して以降、名門の仲間入りを果たした、群馬県の前橋育英高校。

下馬評ではノーマークであったものの、二年生エースを中心とした守りからリズムを作り、ワンチャンスで点を挙げ、6試合中4試合が1点差ゲームという接戦を制して、全国制覇を成し遂げたのであった。

そんなチームを指揮するのは、社会人野球も経験し、日大藤沢での指導歴もある荒井直樹監督である。

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「かがんだぶん、ジャンプしたときは大きかった」/ 駒大苫小牧 香田誉士史監督

2004年の夏に北海道勢として史上初の甲子園制覇を成し遂げた駒大苫小牧

翌年も甲子園を制し、史上6校目の夏連覇の偉業を達成すると、翌年は決勝で敗れたものの、夏の甲子園3年連続決勝進出という驚異的な成績を残した。

そんな駒大苫小牧を指揮していたのが、香田誉士史監督である。

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「指導者からの一方通行では、子どもは育ちません」/ 横浜 渡辺元智監督

高校野球史上「最強」と称された、松坂大輔投手を中心とした1998年の横浜高校

新チーム結成後、神宮大会センバツ選手権、国体を全勝し史上初の四冠を達成しただけでなく、春秋の地区大会も優勝するなど、公式戦一年間負けなしの成績を残した。

そんな名門を指揮していたのが、渡辺元智監督である。

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「三年間で付き合いが終わるような指導はしない」/ 広陵 中井哲之監督

甲子園んでは、センバツ大会を3度制し、春夏合わせて7度の準優勝を記録している広島の名門・広陵高校。

そんなチームを指揮するのは、広陵OBであり甲子園出場経験もある中井哲之監督である。

中井監督の指導は、「監督」である前に「教師」であるという考えから、野球ではなく、人を育てることに力を入れている。

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「方程式がないから、面白いんです」/ 日大三 小倉全由監督

代名詞でもある「強打」を軸に夏の甲子園を二度制覇している、強豪・日大三高

昭和の時代には、センバツ大会での初優勝と二度の準優勝から「春の三高」などとファンからは注目を集めていた。

そんな名門を指揮しているのは、関東一高での采配経験も持つ、名将・小倉全由監督である。

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「高校時代ってまだ夢の途中」/ PL学園 中村順司監督

1980年代を中心に、一時代を築いた大阪の名門・PL学園

甲子園で残した圧倒的な勝率、優勝回数から、「昭和最強」の呼び声も高い。

そんな名門を80年から98年春まで、指揮していたのが、名将中村順司監督である。

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