「指導者からの一方通行では、子どもは育ちません」/ 横浜 渡辺元智監督

高校野球史上「最強」と称された、松坂大輔投手を中心とした1998年の横浜高校

新チーム結成後、神宮大会センバツ選手権、国体を全勝し史上初の四冠を達成しただけでなく、春秋の地区大会も優勝するなど、公式戦一年間負けなしの成績を残した。

そんな名門を指揮していたのが、渡辺元智監督である。

甲子園で51勝、春夏合わせて5度全国制覇へチームを導いた実績を持つ名将である。

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渡辺監督の数々の偉業を成し遂げているものの、後にプロ入りした選手が多いことから、選手の力の凄さだけが語られることが多い。

しかし、横浜高校を全国で勝てるチームへと育て上げ、甲子園でも好成績を残し、名選手を輩出し続けているのは、紛れもなく渡辺監督の力である。

監督就任当時は、「勝ちたい」という気持ちが出すぎた「スパルタ指導」で選手たちを鍛え上げていた。

厳しい練習の甲斐もあっつて、甲子園出場だけでなくセンバツ制覇など、結果は直ぐに出た。

しかし、「スパルタ指導」も限界を迎え、甲子園では中々勝てなくなり、予選ですら勝ち抜けないことも多くなった。

その間、部長を経験し「スパルタ指導」では選手の個性や素質、性格などをうまく引き出せていないことに気づき、「対話」を重視とした指導へと変更した。

やがて、「対話」による指導が選手たちの「自主性」を育てることにつながり、再び甲子園で勝てるチームへと復活を遂げたのであった。

21世紀に入ってからは、コミュニケーションを苦手とする選手が増えていったが、そんな時代の流れにも「対話」重視の指導を変えることなく、携帯を通して言葉を交わすなど、工夫を凝らし指導を続けていた。

2015年の夏に渡辺監督の約半世紀の指導者人生に幕は閉じたが、監督が残した記録や選手たちへの「言葉」は、いつまでも語り継がれるだろう。

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