「自分が一番苦手なもので、自分をつくりあげていかないとダメ」/ 帝京 前田三夫監督

昭和の終わりから、平成の中期にかけて「東の横綱」と称されていた、都の名門、帝京高校。

そんな名門を一から作り上げ、甲子園で通算50勝を超える勝ち星を上げているのが、前田三夫監督

前田監督自身は選手として甲子園出場経験がないものの、監督としては春夏3度の全国制覇、2度の準優勝へとチームを導いている。

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「日本一の練習をしたから、日本一になれるわけじゃない」/ 明徳義塾 馬淵史郎監督

延長や逆転、サヨナラなど高校野球にはいつまでも語り継がれるであろう、「名勝負」が多数存在する。

そんなドラマチックな「名勝負」とは異なった形で現在まで語り継がれている試合がある。

1992年の夏の甲子園の星稜VS明徳義塾の一戦である。

明徳義塾を率いていた馬淵史郎監督の作戦である「松井選手への5打席連続敬遠」が物議を醸したのだ。

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「小さい約束事を守れないものに限ってミスをする」/ 興南 我喜屋優監督

長い高校野球の歴史で、選手として甲子園に出場後、監督として再び甲子園に帰ってくるケースは決して稀ではない。

しかし、選手としても、監督としても「旋風」を起こしたのは、興南高校の我喜屋優監督が史上初であろう。

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「監督のしぶとさが選手に乗り移ってくれた」/ 智弁和歌山 高嶋仁監督

春夏合わせて3度の全国制覇を誇る、名門・智弁和歌山高校。

智弁和歌山の野球部の歴史は、高嶋仁監督の歴史でもある。

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「力を証明したかったら結果で示せ」/大阪桐蔭 西谷浩一監督

8度の全国制覇に2度の春夏連覇、史上3校目のセンバツ連覇など、平成の30年間で63勝を挙げ文句なしに「平成最強」と称されている名門・大阪桐蔭高校。

そんな大阪桐蔭を指揮しているのは、平成を代表する名将、西谷浩一監督である。

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「空は曇っていても、 太陽がなくなったわけじゃない」 / 秀岳館 鍛冶舎巧監督

2003年の夏の甲子園で初出場にし、その年のセンバツ覇者である常総学院を敗り全国から注目を集めた、熊本県の秀岳館高校。

その後は約10年のブランクを乗り越え、16年から4季連続で甲子園に出場し16年センバツからは3季連続4強に進出するなど、驚異的な記録を残した。

そんな秀岳館を強豪に育て上げたのが、長年NHKの野球解説者として、ファンから親しまれていた鍛治舎巧監督である。

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「ないことを嘆くのではなく、あるものを探すんです」/ 彦根東 村中隆之監督

近年高校野球界において、近畿勢で急速なレベルアップしている滋賀県。

甲子園初勝利は、近畿勢の中で最も遅かったものの、90回記念のセンバツ大会では、県勢から3校甲子園に出場するなどレベルの高さを全国に知らしめている。

そんな滋賀県で2009年のセンバツで21世紀枠として初出場し、その後甲子園にコンスタントに出場するようになったのが彦根東である。

進学校でありながらも近畿圏だけでなく、全国から注目を浴びている公立高校である。

甲子園でも、17年選手権、18年センバツは2季連続出場し、いずれも初戦突破するなど実績も残し始めている。

そんな、チームを指揮するのは、村中隆之監督である。

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「刺激のある練習に志高く励んでほしいです」/ 金足農業 中泉一豊監督

高校野球の記念すべき第1回大会と100回大会で決勝進出を果たした、秋田県勢。

そんな秋田県勢で100回大会に、優勝候補を次々と撃破して、夏の主役に躍り出たのが金足農業である。

金足農業は、昭和3年創立の伝統ある公立の強豪校である。

夏の選手権では、1984年に初出場時に四強、95年には8強に進出し、18年夏には準優勝を成し遂げている。

そんな金足農業を指揮するのは、中泉一豊監督である。

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「甲子園は挑戦者として臨む」 / 札幌大谷 船尾隆広監督

2009年に創部し、18年秋の神宮大会全国制覇を成し遂げた北海道の新興勢力、札幌大谷

創部から10年で初出場を果たした19年のセンバツでは、初勝利を挙げた。

そんなチームを指揮しているのが、船尾隆広監督である。

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