「1番をつけている限り、マウンドは譲りたくなかった」/ 日本文理 飯塚悟史選手

2013年の神宮大会準優勝を成し遂げ、翌年の夏の甲子園では、4強進出を果たした新潟県の日本文理高校。

当時のチームをエースとして支えていたのは、常時140キロを超える制球力抜群のストレートを武器としていた、飯塚悟史選手である。

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「オフの時期はチームワークは必要ない」/ 大阪桐蔭 西谷浩一監督

平成最強」と称される大阪桐蔭の強さを支えていたのは、独自のチーム作りであった。

チームを指揮する西谷浩一監督は、団体競技の最大の難点である「個々の育成」と「チームワークの強化」の両立をバランスよく行い指導している。

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「何か目標がなきゃモチベーションは上がりません」/ 聖光学院 園部聡選手

2013年のセンバツ大会で、チーム最高記録の8強に進出した福島県の聖光学院高校。

当時チームの主軸を務めていたのは、1年時から4番打者として活躍し、高校通算59本塁打を記録した園部聡選手である。

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「一人では何もできない、だけど、一人が始めないと、何も変わらない」/ 県岐阜商 鍛治舍巧監督

春夏合わせて4度の全国制覇と、公立高校として最多の勝ち星を甲子園で記録している、県立岐阜商業高校。

チームを2018年から指揮しているのは、秀岳館の監督として3季連続で甲子園4強へ導いた実績を持つ、OBの鍛治舎巧監督である。

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「マウンドに立っていれば背番号は関係ない」/ 光星学院 城間竜兵選手

前年夏の準優勝校として臨んだ2012年の甲子園で、春夏連続で準優勝を果たした、青森県の光星学院

当時のチームで、甲子園史上初となる背番号4での春夏連続甲子園完封勝利を挙げたのが、野手としても活躍していた、城間竜兵選手である。

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「負けで全てが消えるわけじゃない」/ 尽誠学園 西村太監督

1983年の初出場後、甲子園で春夏合わせてを15を超える勝ち星を挙げ、2度の4強進出を記録している、香川県の名門、尽誠学園高校。

そんなチームを2017年秋から指揮しているのは、部長時代に4度甲子園に導いた実績を持つ、OBの西村太監督である。

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「自分が率先して気迫のこもったプレーをすれば、みんなもついてきてくれる」/ 九州国際大付 三好匠選手

2011年のセンバツ大会で、圧倒的な打力で快進撃を続け、準優勝を成し遂げた、福岡県の九州国際大付属高校。

当時チームのエースを務めていたのは、高校通算23本塁打を記録して、打者としても注目されていた、三好匠選手である。

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「人生にはレギュラーも補欠もない」/ 鶴岡東 佐藤俊監督

1978年に甲子園初出場後、79年のセンバツで初勝利を挙げると、2019年の夏には16強入を果たし、近年更に力をつけている山形県の鶴岡東高校。

そんなチームを2001年から指揮しているのは、選手時代に主将を務め、秋の県大会優勝へ導いた実績を持つ、OBの佐藤駿監督である。

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「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」/ 履正社 山田哲人選手

2010年の夏の甲子園で、チームの歴史を塗り替える選手権初勝利を挙げた、大阪府の履正社高校。

当時チームの主軸を務めていたのは、高校通算31本塁打を記録し、大会ナンバー1スラッガーとして注目を集めていた、山田哲人選手である。

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