2007年の夏の甲子園で、甲子園初勝利を挙げると、勢いそのままに、全国制覇を成し遂げた佐賀県立佐賀北高校。
そんなチームを2004年から2017年まで指揮していたのが、佐賀県内の複数の高校で監督や部長として甲子園を経験している、OBの百崎敏克監督である。
百崎監督は、私学勢に勝つためには「チーム力」が必要と考え、部のルールについては、厳しく指導していた。
その一方で、野球の技術に関しては、自身の考えや価値観、セオリーを押しつけることはせずに、選手を育てていた。
技術の理論や、課題に対する解決策は提案するものの、選手がそれらの指示やアドバイスに従わない場合でも、怒ることはせず、見守っていた。
選手一人一人に適した野球のスタイルは、選手自身で見つけ出すように伝え、その答えを出すための手段として、様々な言葉がけを行い、選手の参考になるためのアドバイザーの役割に徹していた。
そして、決まった正解がないことと同時に、「指導者や世の中が絶対」という決めつけもせず、選手に情報の取捨選択をさせながら、自然な形で試合でも役立つ「思考力」も身につけさせていた。
日頃から、「指示待ち」ではなく、自ら考えて取り組む癖をつけさせていることが、佐賀北の強さを支えているのだろう。
「「世の中のことについて、疑ってかかるということもあっていい」/ 佐賀北 百崎敏克監督」への1件のフィードバック