春夏合わせて10回を超える甲子園出場を誇り、県や地区大会では毎年優勝候補に挙げられる、島根県の開星高校。
チームの1988年の創部当時から2011年まで指揮していたのが、野々村直通監督である。
野々村監督は、抽選会の際に羽織袴で登場したことや、厳しい言葉で指導する姿から、「やくざ監督」と称されることもあったが、野球や教育に対して実直な姿勢であったため、選手や周囲の人からは慕われていた。
2010年のセンバツ大会では優勝候補に挙げられながらも初戦で敗れ、落ち込みすぎるあまり、報道陣の前で「21世紀枠の高校に負けたのは末代までの恥、腹を切って死にたい」と発言し大きな騒動になった。
相手校への失礼な発言として、日本中から大バッシングを浴び、謝罪会見の際の服装が派手であったこともあり批判はエスカレートし、長期間の謹慎処分となった。
教育者という立場上、発言や行動に問題があったことは確かではあるが、練習試合一つにも「生きるか死ぬかの覚悟」を持ち挑んで闘っていた姿勢は、多くの教え子や選手、保護者の心を掴んでいた。
それを示すかのように、野々村監督の謹慎中に開星の保護者が中心となりスタートした監督復帰嘆願署名運動には、約8000人もの名前が記入されていた。
そんな周囲の協力もあり監督復帰を果たすと、翌夏の甲子園では1勝を挙げ監督生活最後の大会を終えたのであった。
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