当時無名であった帝京を「東の横綱」と称されるまでに育て上げた名将、前田三夫監督。
甲子園で3度の全国制覇に、50を超える勝ち星を挙げ、プロ野球にも多数の選手を送り込んでいることから、名指導者として認知されているが、就任当初は苦難の連続であった。
監督就任の挨拶の際に、「甲子園」の三文字を掲げると、都大会を勝ち抜いたこととのない選手たちには響かず、失笑されてるなど、厳しい状態のスタートであった。
22歳という若さで監督に就任したこともあり、選手に対して怒りさえ覚えた前田監督は、「有言実行」を目指し、周囲が驚くほどの猛練習で選手を鍛え始めた。
あまりの猛練習に、40人いた部員が4人にまで激減し、学校内で問題にもされたが、信念はぶれることなく、ひたすら厳しい練習を続けていった。
そんな監督の情熱は、全国制覇という最高の形で実を結び、以降は毎年優勝候補と称されるほどの強豪までに成長していった。
しかし、勝ちを意識するあまり、勝利のために手段を選ばない「勝利至上主義」ともとれる采配が批判を浴びるようにもなっていった。
そこで、勝つことが全てという考えを改め、勝利至上主義のスタイルを変え、周囲から応援される方針を取り入れることをスタートさせた。
相手チームへの思いやりや、小さな気遣いを積極的に試合で出すことで、かつての帝京ほど勢いはなく、結果は出なくなっていふことは事実である。
それでも、勝利以上の大切な何かを選手に伝える前田監督の指導が、多くの野球ファンの心を掴み、復活への足がかりとなっていることも確かだ。