「神様は反省をさせるように失敗をさせてくれる」/ PL学園 清原和博選手

1983年の夏から85年の甲子園に5季連続出場を果たし、2度全国制覇2度準優勝を成し遂げた大阪府のPL学園

当時、チームの主軸を1年から務め、大会最多の甲子園通算13本塁打を放ったのが、清原和博選手である。

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清原選手は、幼少期から恵まれた体格を活かし、投打共にレベルの高さを発揮し、実績も残していたため、高校進学時には、30校近いスカウトが来るほどであった。

そんな中、名門、PL学園に進学すると、部内の理不尽なルールや厳しい寮生活に苦戦を強いられ、野球以前のことに慣れるのに時間を要していた。

それでも、数ヶ月で生活に慣れると、試合では、超高校級選手が揃う中、1年時から4番打者として試合に出場し、甲子園でも本塁打を放ち優勝に貢献した。

しかし、2年時には春夏連続で甲子園準優勝という結果に終わり、続く、3年のセンバツでは4強で敗れ、思うような結果が残せない期間が続いた。

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そんな悔しさから、敗戦後直ぐにグラウンドに向かい、深夜遅くまでバットを振ったり、 夏の大会まで、チームの誰よりも自主練をこなすなど、更なる猛練習を課していった。

迎えた、最後の甲子園は、決勝戦での2打席連続を含む5本塁打を放ち、全国制覇に貢献し、有終の美を飾ったのであった。

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