高校野球界では、名門と称されれば称されるほど、伝統やブランドといったものが重荷となり、長年甲子園から遠ざかってしまうと、立て直しは難しくなる。
しかし、茨城県の土浦日大を指揮する小菅勲監督は、30年以上全国の舞台から遠ざかっていたチームを復活させることに成功したのであった。
土浦日大史上初となる、OB以外での就任ということもあり、チームを指揮しはじめた際には、部内の選手たちとの信頼関係を築くことに苦戦し、ファンや卒部生からの厳しい声も届いた。
それでも、長年甲子園から遠ざかっていることの原因は、外部からの視点がないと見つけ出せないという考えから、教壇にもたち、チームの現状把握と見直しを行なっていった。
そんな小菅監督が、最初に見つかった課題は、選手たちの何ごとに対しても消極的で、受け身な状態である、「意識の低さ」であった。
練習量や内容自体に問題はなかったものの、目的や目標もなく、ひたすら作業のようにこなしている選手が多く、能力を発揮したり、力を出し切れていない状態が続いていたのだ。
この問題の打開策として、意識改革をスタートさせたが、モチベーションを保つためにも、一方通行の指導ではなく、極力選手の口から出た意見を尊重していった。
また、週末は寮に泊まり込み、寝食を共にして、コミュニケーションの機会を増やし、グラウンドとは違ったアプローチで指導を行うこともある。
そして、選手たちに直接言葉で伝えきれなかったことや、大切な情報は、何気ない時にも見返せるようにと、携帯電話のメッセージで送るなどの工夫も凝らしている。
周囲の声より、選手の考えや自身の直感を重視した指導で土浦日大を復活へと導いた小菅監督は、甲子園の頂点という次なる課題へと立ち向かう。
「「現場で誰よりも選手を見てきた自分の感覚を信じる」/ 土浦日大 小菅勲監督」への1件のフィードバック